「万引き家族」に見る貧困の意味

日本映画

社会的弱者だけれども

(ネタバレ)日雇い労働の中年男と、パート労働の女、風俗でバイトをする家出娘と、年金生活の老婆、親にかまってもらえない男児、もしくは虐待を受けている幼児の共同生活が営まれている。

まるで戦後のような暮らしぶりの中で、片寄せ合う人の温かさが描かれている。

万引きや盗難を行い、元夫の家族にもたかる、いわゆる社会に寄生している生きている人間の集まりではあるが、心底憎めない。

嫌悪は感じても、そこに何か温もりを感じてしまうのは、どこかでいつか見た風景だからかもしれない。

ふと思い出すのは、昔旅したインドの貧困地域の風景だ。

違っているのは、生命力の強さというところか。

日本は、気候が激しくないので生き延びるのがそれほどインドより難しくない。だから、そこまで欲望をギラつかせなくても、命をつないでいくことができるのだ。

もっと淡々と、貧しさを楽しんで生きられるのが日本なのかもしれない。

限りなく自由で優しい

彼らが集まってきた背景として、社会構造のひずみがあげられる。

幼児虐待、育児放棄、独居老人、スキルを持たない日雇い労働者の貧困など。

いわば社会の最下層に落ちる人たちの話である。

人は、その状態になりたくないから頑張って社会規範に自分を合わせようとする。

その結果発生したストレスで、弱いものを攻撃し、世間体が人を苦しめ、結果一部がこぼれ落ちてしまう。

誰もが羨むような美しい家族にも、汚点があり、それは隠蔽されている。

男は女を殴り、幼児は虐待され外に出される。

それを万引き家族が拾って、いや集ってお互いを養う。

彼ら自身が、そうやって外側に弾き出された人間だから、痛みがわかるのだ。

この物語が伝えることは?

上段から、貧困を憐んだり、万引きをする不道徳さを非難するものでも、社会構造の歪みを指摘するものでもない。

その日暮らしで、さらに万引きをして生きるという、眉をひそめるような生活の中に、ほっこりと描かれているのは、生きる欲望でも希望でもない。

ただ、生きる

意味もなく、生きる

意味なんてなくても、わけがわからなくても、生きるしかない

と、自我や自意識を超えた生き方について考えさせられる。

一方で、今の自分の希望は何なのか。何を欲望に行きているのかを改めて考えさせられた。

薄っぺらい願望や夢でも、そこにしがみつかなくてはいられないだけではないのだろうか?

アンチテーゼ

「あんな目に遭いたくなかったら、頑張りなさい!」

という教育の圧力に応えなくても、もう大丈夫だ。

社会的な弱者を憎む視点がなくなれば、自分を苦しめる視点も減るものだから。

そうすると逆説的に肩の力が抜けて、自分の思いに忠実に選択をし続けていけるようになると思われる。

怖いから無理をするのではなく、自分が望むものを手に入れる行動に変わる。

そうしたら、結果的に快適も選べるような状況になるのではないだろうか。

万引きは循環の一つかも

誰かの無理が誰かのストレスの吐口となっている。

そうして吐き出された感情は、一つに集まり、お互いの傷を舐め合うようにひっそりと息づく。

万引きは、その感情の老廃物が循環したものではないか。

そのものたちの小さな反逆なのではないか。

輪廻思想は、貧困を優しく包む哲学なのだと気がつかされた。

Apsara

東京でアーユルヴェーダサロンを12年運営してきた元セラピストで、今はストリーライティングを仕事にしています。 映画・小説・ドラマ・占いなど、人の運命を辿るス...

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