ゆれる〜揺れていたのは、なんだったのか?

目次
揺れているのは?
*登場人物(ネタバレ注意)
地方の家族経営のガソリンスタンドの次男坊は、東京でカメラマンとして成功しているイケメン自由人・・・タケル
兄は実家の家業を継ぎ、雷親父にも理不尽な客にも頭を下げる出来た男で、独身の中年男性・・・ミノル
ガソリンスタンドでアルバイトをするタケルの元カノ・・・チエコ
前衛 vs 保守
親の期待を一心に受ける第一子の典型のミノルさんは、誰から見ても「良い人」「真面目」「人の期待に応える人」「自分よりも他人を優先」。
それに比べて次男は、優秀な兄と比べられて敵わないからこそ、自分の道を歩み出す。世の兄弟姉妹の中には、期待されないことがコンプレックスにつながっている人も多くいる。
けれどタケルは、親に認められることを早々に諦め、早々に自分の人生を見つけて実家を出ていく。
次男とはある意味お気楽でいられるのだ。
兄のようには優秀ではないけれど、そのセンスを活かして東京でかっこいい仕事について女性にもモテモテのタケルくん。
東京に出る前に付き合っていたチエコちゃんと再会するも、チエコの重さにぞっとする。
チエコは田舎でじっ〜と東京で活躍するタケルくんを妄想していたのだ。
まるで、「王子様、囚われの身のわたしを迎えにきて〜♪」とばかりに。
重い女はどこまでいっても重い
過去の自分を後悔し、どこまでも可哀想な女のままで、「生まれ変わりたいの」と言う。
そういう台詞を吐くほどに、これからも「変われないなこの女」というのが見えてしまうのは、結局他人にどうにかしてもらおうとしている人間の言葉だからだ。
吊り橋の上で、生まれ変わりたいチエコは、思わずミノルの止める腕を振り払う。
そして抑圧していた分だけ、怒りの感情が出てハッとする。
自己嫌悪の塊同士が鏡のように向かい合うのだ。
ミノルもチエコもお互いの殺意にハッとしてしまうのだ。それは自己嫌悪の投影であり、それに気がついてしまった一人はもう一人を殺してしまうのだった。
けれど、そこには境目はなく、自殺か他殺かで揺れた最後まで、どちらともわからないまま、最後は自己肯定に向かう。
重い女の習性
作り笑いや、その場の取り繕いが激しいのは、自分の気持ちを出しては迷惑だと思い込んでいるから。
相手に迷惑をかけてはいけない、いい子でいたい、嫌われたくない
これらの配慮はつまるところ自己愛でしかなく、いくら良い女のフリをしても都合の良い女レベルで止まる。
自分がどうしたいか、どう生きていきたいか、が何もないのに、
わたしをこの退屈な田舎から連れ出して〜♪が叶い、仮に連れ出されたところで、街の中に行っても同じように退屈で孤独な毎日が広がるだけ。
人の魅力とは?
明確に鮮明に対比して描かれているところから、最後まで目が離せなかった。
「なんでこんな人生になったのか」
ミノルもチエコも同じ台詞を語っていて、その生き方が逆説的にどうすれば自分を生き切ることができるのか、を如実に示してくれていた。
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